呂比須 ワグナー(ロペス ワグナー、Wagner Lopes, 1969年1月29日 - )は、ブラジル出身の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。ブラジル名はワギネル・アウグスト・ロペス (Wagner Augusto Lopes)
49キロバイト (5,042 語) - 2021年12月6日 (月) 17:03



(出典 www.soccer-king.jp)


すごいことですよね!

1 愛の戦士 ★ :2022/01/14(金) 12:12:40.65

NumberWeb 1/11(火) 11:01

ブラジルから帰化を選択し、日本サッカーに貢献した人物は多い。その代表格の1人が呂比須ワグナー。フランスW杯の日本代表に名を連ねたストライカーは指導者になって以降、紆余曲折のキャリアを歩んでいる。そんな彼に現状、そして岡田武史監督時代、中田英寿らとともにプレーした現役時代の秘話を聞いた(全2回/後編も)

 一見、柔和な紳士。しかし、実はかなり泥臭い。温室育ちのエリートなどでは全くない。ブラジル・サンパウロ州の内陸地で育まれた雑草だ。

 呂比須ワグナーは18歳で地球の反対側へ渡り、苦労の末、“ジャパニーズ・ドリーム”をつかんだ。しかし現役引退後、指導者としては浮き沈みの激しいキャリアを送ってきた。

父親が落雷で急死、母親も子供たちも働いた
 まずはあまり知られていないであろう、彼の人生を振り返っていく。サンパウロ州フランカで、8人兄弟の末っ子として生まれた。4歳になる10日前、父親が落雷で急死。一家は完全に打ちのめされた。しかし、生きなければならない。母親が学校の給食調理員として働き始め、子供たちも働いて家計を助けた。

 ワグナー少年も、小学校から帰ると、自宅で靴のソールを接着剤で貼り付ける内職を数時間。その日のノルマを達成すると外へ飛び出し、近所の子供たちと夢中でボールを蹴った。

 地元のアマチュアチームに入ったが、週日は練習に参加できず、週末の試合にだけ出場した。15歳で名門サンパウロのアカデミーの入団テストを受けて合格。スタジアムの内部にあった選手寮に住み、ホームシックで涙を流しながらもプロになる夢を追った。

 17歳でトップチームに昇格したが、ブラジル代表のカレッカ、ミューレルら錚々たるアタッカーがおり、試合に出場できるのは彼らが故障したときか、代表に招集されて不在のときくらい。

加茂周監督に言われた「成功したかったら日本語を」
 1987年、チームメイトの元ブラジル代表CBオスカールが日産へ移籍することになり、彼の推薦で一緒に日産へ。加茂周監督に「日本で成功したかったら、日本語を覚えろ」と言われ、それを実行した。柏レイソル、ベルマーレ平塚、名古屋グランパスなど計7クラブで16年間プレーし、リーグ戦(アマチュア時代を含む)で349試合に出場して239得点。往年の名ストライカー釜本邦茂の202得点を超えた。

 日本での生活に馴染み、1992年に長男が生まれると「家族全員で日本人になりたい」と考えて帰化を申請。5年越しで国籍を取得した。すぐに日本代表へ招集され、1998年ワールドカップ(W杯)のアジア予選、そしてW杯に出場。ジャマイカ戦で中山雅史の日本代表W杯初ゴールをアシストした。

 2002年末に現役を引退し、指導者の道へ。2005年、サンパウロ郊外の小クラブ、パウリスタのコーチとなった。2007年に胆石の手術をして入院生活を送った後、2010年、パウリスタのコーチに復帰して監督に昇格し、2011年、コパ・パウリスタ(サンパウロ州の中堅クラブを集めたカップ戦)で優勝した。

 そして2012年、ガンバ大阪の監督に招聘された。

 S級ライセンスを取得しておらず、ブラジル1部での指導経験もなかったため、日本サッカー協会(JFA)は彼の監督就任を認めなかった。そこで、若手時代の恩師ジョゼ・カルロス・セホーンを監督に据え、自らはコーチとして彼を補佐するという窮余の策を用いた。

 だが、前任の西野朗監督から戦術を大きく変えたことが裏目に出る。セホーン監督との二頭体制も混乱を招き、わずか5試合(Jリーグ3試合、アジアCL2試合)、2カ月足らずで監督ともども、解任された。

※続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce035b0a7905af79ee5dfbf849a4e7167217487b
インタビューに応じてくれた呂比須ワグナー photograph by Hiroaki Sawada


(出典 i.imgur.com)





3 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:14:33.85

>>1
>そして2012年、ガンバ大阪の監督に招聘された。

記憶に全くないな
ガンバの監督なんてやってたか?


12 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:20:47.60

>>3
最初監督としてオファーしたけど、ライセンスがなくなれないのが解って、
ライセンス取るまでに、代わりにセホーンを監督にした。

結局ガンバにとって最悪の結果になったが。


42 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:36:01.31

>>1
よしっ代表監督やってくれ
森猿よりはマシだろ


45 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:37:20.27

>>42
絶対森保のほうが有能


2 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:14:00.16

日本国籍取ってから選手としても指導者としても何一つ役に立たなかったよなこの人


13 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:21:06.77

>>2
選手としてはまぁボチボチ
監督はブラジル自体が落ちるから


14 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:21:08.37

>>2
最終予選で2点とってるよな
あの2点なかったらフランス行けてないから
無駄ではないよ


4 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:14:46.35

国籍変えて代表の勝ち取った猫ひろしが叩かれて呂比須ワグナー が叩かれない日本人のメンタルがわからない
日本が得すればなんでもあり?


5 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:15:51.27

>>4
結局何一つ得してないけどな


8 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:17:39.86

>>4
チョンかシナはまた違う


15 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:21:14.27

>>4
ロペスは長く生活してたからな
猫はちがうんじゃないか?


10 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:18:59.69

比をペと呼ばせるのは無理があった


27 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:29:58.59

>>10
フィリピンの略が比なんだしええやん


29 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:31:16.69

>>27
だからロピスだろうが
フィリペンなんて国はない


33 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:32:55.78

>>29
比はフィのフィだぞ


43 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:36:20.43

>>33
それでもぺにならないんだが


47 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:39:26.39

>>43
だからなんだよ


23 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:27:36.75

ロピス14回解任って、それだけオファーくるのがすごいわ


28 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:30:51.18

>>23
まあ監督解任はブラジルの日常だから…


31 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:32:18.64

>>23
オファーは22回来たって。

――これまで監督として歩んできた12年間で、延べ22ものクラブを率いています。これはいかにも多いと思うのですが……。

「別のクラブからオファーを受けて自ら退任したこともあれば、解任されたこともある。ブラジルでは、成績不振の原因をすべて監督に押し付ける文化があるからね」

(注:退団した理由の内訳は、成績不振による解任が13回、自己都合による退任が7回、クラブ首脳による選手起用への介入を拒んで解任されたケースが1回)


26 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:29:50.73

ロペスよりセットで呼ばれたはずの
セホーンのがインパクトあったよな


38 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:33:57.39

>>26
Jの歴代監督であそこまで無能なのは
小倉隆史とか数えるほどしかいない


34 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:32:59.20

こいつがいなけりゃカズがフランス大会出てたよね


37 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:33:53.87

>>34
ロペスじゃなくてカズだったらワールドカップいけてないだろ


41 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:35:20.39

この記事の後編も読んだけど、柏からの解雇は屈辱だったそうだ。

1994年、柏レイソルで「来年はもっと優秀な外国人選手を連れてくるから」と解雇を言い渡される屈辱を味わった。指導者となってからも、ガンバ大阪でわずか5試合、2カ月で解任され、この年、チームはクラブ史上初めて2部へ降格。アルビレックス新潟でもチームを降格させてしまい、その責任を取って辞任したが、事実上の解任だった。ブラジルでも、再三、解任されたが、挫けることなく這い上がってきた。これまで21回退団しながら22回のオファーを受けたことは、これまた勲章と考えていいのだろう。


49 名無しさん@恐縮です :2022/01/14(金) 12:40:18.15

>>41
あれ?新潟は途中就任じゃなかったっけ?
最後強くなってたのに解任かーって思ったはずだが